2024年新年の挨拶~人材開発本部 部長 中塚裕一郎~

あけましておめでとうございます。
さて、昨年の出来事を思い出しますと谷村新司さん(私の高校時代の思い出のフォークグループのスター)らが天国へ召され、時代の流れ、我が世代を痛感させられました。
その方々の年齢からそう遠くない年齢を自分に当てはめてみると、あらためて自分の人生を考えさせられました。
残りの人生をどう生きていくか、時間を大事にするか、今年はより一層生き方にこだわって日々を送りたいと思います。
幸いにもこれまでの人生は波瀾万丈でしたが楽しく後悔のないものでした。
もしよろしければこんな私と語り合ってみませんか?
面白く生きるヒントがその中にあるかもしれませんよ。
連絡をお待ちしています。
最後に今年もユニークなアイデアと笑い声で溢れた素敵な一年にしましょう。

プロフィール

中塚裕一郎
中塚裕一郎
41年前、IT企業(そのころはITなんて言葉はなくソフトウエア開発会社)に新卒で入社。
出来の悪いエンジニアではあるが、都銀・地銀の大規模開発に携わり地銀システムでは転勤が多く、
広島、三重、大分を転々とし、多くの人脈を築くことができた。
そのころはバブル真っ只中、IT業界は3K(過酷な労働条件、徹夜、残業200時間超)と言われたが、
毎月の給与はとんでもない額をもらっていた。

そんな折、現場に送られてくる人材に不満を感じ、だったら自分が優秀な人材を採用して現場を楽にしてやろうと、
その当時の社長に掛け合った。
「おまえはそっちの方が向いてるかもしれない。やりたいようにやってみなさい」社長は見抜いていたのである。技術者としてはダメだと。
それから人事畑を20年余り過ごしてきた。
当社社長である福田とは、前職で同じ会社に在籍しており、彼が新卒で私が採用側という立場であった。
何か他の新人とは考え方が違っており、良いも悪いも何かしでかす奴という印象が強い。
案の定、当時の会社を辞め、会社を設立するということをしでかしてしまう。
会社を辞めてからも、何故か気になる存在で結婚式にも出席し、定期的に会うことも。

そして今、彼の夢を実現するため、微力ながら協力させてもらっている。
採用の仕事をしてきて一番良かった思うことは、その時、その会社で会った同期、先輩、後輩が会社をを辞めても繋がっていることである。
彼らは友人のままでいたり、仕事で協力しあっていたりしていてそんな状況を見ることが私はできるのである。
今でもそんな彼らがそういった集まりや飲み会に私を呼んでくれる。
その時ほど幸せ感じることはないし、この仕事をやってきて良かったとつくづく思うのである。
そして、まだまだそんな仲間を増やしたいと思っている。

プライベートでは少年サッカークラブの代表の顔を持ち好きなことは、ゴルフ、歌うこと、気の合う仲間と酒を酌み交わすこと。