重苦しい雰囲気があります。
例えば、問題解決の打ち合わせで場が膠着する時です。手詰まりの状況です。
各人に背景があり、しがらみや抱えるタスクで手が回らなくて、自ら口をはさむのに躊躇する状況もあるでしょう。
どうしたら場が打開するか。
ちょっと古いかもしれませんが、戦国三武将の性格を表した、ホトトギスの句がありました。
「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」。
「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス」。
「鳴かぬなら、鳴くまでまとうホトトギス」。
人格を類型化するのにとても面白い例えだと、子供の頃は感じたものです。
でも成長するにつれ、自分には創造のためにものごとを破壊する勇気もなければ、智謀もなく、機略も胆力もないことに気付かされました。 それが現実。
そんな絶望から私が使うようになった手法が、
「鳴かぬなら、僭越ながら私が鳴かせていただきます、ホトトギス」でした。
鳴かない鳥をどうするか、のアジェンダに対して、鳥を囲んでいる人間が鳴き始めるわけです。
ツッコミと失笑しか出てきません。
でもその瞬間、重苦しい場の雰囲気が解消されたりします。
問題の深刻さが、フランクに捉えられ発現のハードルが下がったりします。
腕組みをして渋い顔をしていた人も、口を開き始めます。
「トンチンカンに見えるけど、何か発見できるかもしれないなら、やってみようか?(工数とられないし。)」 「意味ないと思うけど、やって気がすむのなら、協力はできるよ。(責任なんて存在しないし。)」
過去の仕事ではこれが起点となって、問題が解決に向かったり、新しい技術が開発されたりしてきました。
とかく空気を読まないというのは良くない行動だと捉えられがちですが、状況によっては起こした乱流が事態を好転へ導く。 殻を破るヒントになるかもしれないです。
